Wed, 10 Jul 2019
http://www.markronson.co.uk
Label Site
http://www.sonymusic.co.jp/
Music/International/Arch/BV/MarkRonson/
DJ/プロデューサーとしてNYを中心に活動、近年はJ Recordsと共同で自身のレーベル=Allidoを設立。エクゼクティヴ・プロデューサーとして実力派リリシスト=ライムフェストのメジャー・デビューをバックアップし、その音楽的造詣の深さと的確なプロデュース・センスを高く評価されるマーク・ロンソンはロンドン生まれ、NY育ち。義理の父はフォーリナーのミック・ジョーンズ、母はフリーランス・ライター、そしてロンドン/NY社交界の実力者という華やかな家庭環境に育ったマーク。妹のサマンサはDJ、シャーロットは人気ブランド「charlotte ronson」を主宰する若手デザイナーとしてそれぞれ活躍している。8歳の時に母親の再婚がきっかけで家族はNYに移住。幼い頃はステレオのスピーカー前に陣取ってエア・ドラムごっこをするのが大好きだった、というマークの音楽的好奇心は世界最大級の音楽都市=NYに身を置くことによってますます高まることに。高校入学当初はバンドを結成、ギタリストとして活躍していたが、16歳頃に当時全盛を極めたNYヒップホップやウェッサイの名曲の数々に強い衝撃を受けてDJ活動をスタート、やがてヒップホップDJを志すようになった。大学に進学する頃には人気クラブにレギュラーDJとして出演するまでに急成長、国際色豊かでクリエイティブなバックグラウンドならではの音楽的引き出しの多さとユニークなDJセンスを買われて、P.ディディといったローカル・セレブリティのプライベート・パーティでもひっぱりだこに。NYクラブ・シーンを代表する人気DJとしてその名を馳せるようになった。
その後も大物アーティストのワールド・ツアーに同行するなどトップ・クラスのDJとして大活躍する一方、プロデューサー業も本格化。91年に女性シンガー、ニッカ・コスタのアルバム『Everybody Got Their Something』のプロデュースに携わったことをきっかけにElektraレーベルとアーティスト契約。2003年に1stアルバム『Here Comes the Fuzz』でワールドワイド・デビューを飾った。アルバムにはモス・デフ、Q-ティップ、ゴーストフェイス・キラー、ネイト・ドッグからショーン・ポール、WEEZERのヴォーカル=リヴァース・クオモまで多彩なゲストをフィーチャー。シングル「Ooh Wee feat. Ghostface Killah and Nate Dogg」がスマッシュ・ヒットとなった。プロデューサー/ソングライターとしての才能を見込まれ... More Biography