イギー・アゼリアは、ラップの世界に飛び込み、大物になった。部外者(アウトサイダー)の成功は彼女が初めてだろう。オーストラリアの田舎町、ニュー・サウス・ウェールズ州のマランビンビー(人口3,000人)で育った白人の少女。その成功は必然だったのか? これまでヒップホップの世界が、よそ者を全く受け入れなかったにも関わらず、イギーは今をときめく期待の新人MCという地位に上り詰めたと言える。これは、彼女が単なるアウトサイダーではないという証明でもある。イギーは“キング・オブ・ザ・サウス”ことT.I.だけでなく、ドクター・ドレーからスヌープ・ドッグに至るラップ界の帝王たちとも契約を結んだ。2012年、彼女は女性アーティストとして初めて、ヒップホップ音楽誌XXLの新人リストに名を連ねる。イギー・アゼリアは、業界内でも認められる存在となった。驚くべき事実がある。イギーがマイアミの空港に降り立ったのは、今からわずか6年前。16歳のイギーは、2週間の休暇と偽りながら、オーストラリアを永久に離れる決意を固めていたのだ。アメリカにいる知り合いは、たった1人だけだった。
しかし、ある意味、イギーの生い立ちは、ヒップホップにはうってつけである。地球の裏側へと飛び立ったという事実からも、彼女の衝動と気概が感じられる。オーストラリアの田舎町では、貧しくて過酷な暮らしを強いられていたのだ。「田舎出身ってだけで、やわな女だと判断するわけ?」と彼女は笑う。「私の地元は、過酷な場所なの。住民はものすごく逞しいわ。あの町の人とケンカをしようとは思わない。町の中心にいようが、僻地にいようが、自由になるのは本当に大変。だから、みんな逞しく成長する。何しろ権利が懸かってるから。権利にもいろいろあるけど、とにかく、何か失いそうになったら、戦わなくちゃいけないの」
イギーがアメリカに恋したのは、11歳の時。祖母に連れられ、ロサンゼルスからドライブ旅行に出かけたのだ。「サンセット・ストリップで青いウィッグを買って、どこに行くにもかぶってた。ラスベガスでショーガールを見て、うわあ、こんな暮らしがしたいと思ったわ」と彼女は回想する。ティーンエイジャーになり、ヒップホップに興味を持ち、バスタ・ライムス、ミッシー・エリオット、フィールド・モブ、そして、何よりも2PACに夢中になったことで、アメリカへの夢は膨らんだ。同時に、地元では孤立を深めることとなる。インターネットでラップ音楽を探す中、イギーはバハマのティーンエイジャーと知り合った。「彼の名はデレク。唯一の友達だった。今でも仲がいいわ。私は自分で作ったラップの曲を彼に送り、感想を聞いたの。君はアメリカ的だよ。君の意見は正論だ!と言って、彼はすごく励ましてくれた」。イギーが移住計画を実行するころには、デレクはマイアミに引っ越していた。「本当に彼1人しか知り合いがい...
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