THE ANIMALS(ジ・アニマルズ)のメンバーであるキーボーディストのミッキー・ギャラガー。彼は、これまで Frampton(フランプトン)や、 IAN DURY & THE BLOCKHEADS、The Clash(ザ・クラッシュ)、Eurythmics(ユーリズミックス)、そして我らの清志郎と共演してきた、世界中の誰もが認める最高のキーボード・プレイヤーである。そんな彼が、The Animals として11月19日(月)、20日(火)に来日公演を果たす!!​


そこで、The Animals 来日公演前のミッキー・ギャラガーにインタビュー! 世界が認めるキーボーニストに、その半生、音楽観、そして日本への想いを存分に語ってもらった。
 

Q. こんにちは、よろしくお願いします。長年、様々な形でキャリアを築き、有名アーティストとも共演してきましたとのことですが、どのようにしてニューカッスル・アポン・タイン出身の少年が音楽業界へ入ったのでしょうか?

A. 10歳の時へピアノ教室へ連れて行かれた。スパルタな先生で、生徒の手を定規で叩くような厳しさだったんだ。そのやり方についていけなくて、怠け始めて、結局は友達とサッカーで遊ぶようになった。レッスンも段々とサボるようになって、母親は渋々僕を教会のオルガン奏者にするという夢をあきらめて、ピアノ教室も辞めたんだ。

10代になり、5年間は地元のユースクラブに参加して、かわいい子を眺めてたんだが、そのクラブはメソジスト*が運営していて、カトリックの男の子たちはみんなメソジストの女の子が可愛くて、興味深いことを知っていたんだ。そこで注目の的となっていたのが、一人のピアノを弾いている少年で、彼はロックンロールなリフを演奏してた。
(*メソジスト= キリスト教の一つの宗派)

彼を見て衝撃を受けた僕は、すぐ家に帰ってもう一度ピアノを弾いたんだ。かすかに覚えている感覚を頼りに、B・バンブル & ザ・スティンガーズの "Nutrocker" や、フロイド・クラマーの "On the Rebound"、それからレイ・チャールズの "What'd I Say" などを、気が向くと皆の前で弾くようになった。見事に人気者になったよ。他の、ロックンロールがやりたい駆け出しのミュージシャンたちからも注目されるようになって、それから全てが始まったんだ。


Q. キーボードのアラン・プライスの後釜として  The Animals(ザ・アニマルズ​)に参加したのは有名な話ですが、どのような経緯でプライスが去って、あなたがバンドに参加するようになったのでしょうか?

A. こういう話って後々作り話とか伝説みたいに伝わっていることが多いんだけど、1965年の春、アニマルズは人気絶頂だった。永遠の名曲 "朝日のあたる家 (House of the Rising Sun)" が世界中で話題になっていた真っ最中だ。その頃、アラン・プライスが曲のアレンジに反対していて、時にはリハーサルから去るようにまでなってしまったんだ。後には、60年代におそらく一番記憶に残るオルガン奏者として認知されるようになったけどね。本質的にはグループのアレンジの問題だった。The Animals の場合は、みんながそれぞれのパートを作っていたから。あの頃は、一人が曲のアレンジを担当した方が、好都合でやりやすいと考えられたんだ。編曲:アラン・プライス みたいな感じでね。

1965年にプライスの銀行口座に印税が入ってから、彼は The Animals を去るにはいい機会だと思ったようで、ハモンド・オルガンを購入し、彼自身で別のバンドを結成した。それも、スカンディナヴィアで大きなツアーがある前日に、突然ね。他のメンバーは飛行機に乗って、彼は決断したことをメンバーに何も言わず、姿を見せなかった。メンバーがストックホルムに到着したとき、彼らは苦境に立たされていることに気づいて、すぐにキーボードプレイヤーを見つけなければならない状況の中、慌ててロンドンとニューカッスルに電話がかかってきたんだ。その朝、僕は地元のバンドとクラブ ア ゴーゴーという所でライブをした翌日で、二日酔いから復活しようとしていたところだった。そこのクラブのマネージャー(Myer Thomas)が、僕と話したいって言っているのを聞いて、記憶が曖昧な中で、すぐに昨夜自分は何かしでかしたのだろうか、と思って頭を抱えたよ。でも、その日の午後に「The Animals のスウェーデン公演に参加しないか? 今すぐに!」って言われたんだ。

The Animals のマネージャー、マイク・ジェフリーズが僕の両親の承諾を得て(僕は当時まだ10代だった)ロンドンへ来たんだ。髪を切って、写真をとって、初めてのパスポートと労働許可が数時間で取得できたんだ。まるで魔法のようにね。そしてすぐに、スカンディナヴィアへ向かったよ。本番20分前に到着して準備を始めたんだ。


Q. 当時、 The Animals として演奏するのはどうでしたか? 何か印象に残っている思い出は?

A. すごくエキサイティングな経験だった。世界中でナンバーワンだったからね。僕はすごく若くて経験もないのに、なぜかプレッシャーは感じていなかった。もう少し歳が上だったら、状況をきちんと理解してしまい、逆に楽しむことができなかったかもしれない。イギリスに戻ってからはジョン・スティールとヒルトン・バレンタインが僕の面倒を見てくれて、友情を見せてくれてロンドンでとても楽しい時間を過ごしたよ! チャスとは距離を置かれている感じがしたけど、エリックには本職を諦るなって言われたよ。


Q. The Animals​といえば、多くの日本のファンはエリック・バードンを思い浮かべます。エリックがいない編成のバンドを見ることに抵抗がある人たちに何か伝えたいことはありますか?

A. エリックが去ったのは1966年。彼の能力をより認めているミュージシャンたちと組んで、アメリカでソロのキャリアを築きたいという意向だった。The Animals 以降の彼の音楽を見ると、まだどうだったのか答えは出ていないように感じるけどね。現在の The Animals はエリック・バードンのスタイルをまねるようなことはしていない。その代わりに、The Animals の曲の数々を忠実に、パンチのきいた心からのパフォーマンスで、元来の曲の意味を正直に伝えるように努力しているんだ。

ジョン・スティールのスウィングドラムスタイルはユニークで、それでいてまっすぐでもあり、The Animals の本質的な部分となっている。他のドラマーが真似しようとしてもできないと思う。

ダニー・ハンドリーか奏でる絶妙なブルースロックギターと、魂のこもったリードボーカルは、まるで彼の曲であるかのようにしっくりくるんだ。これが俗に言う本物のアーティストだと思う。

ロバート・ルイズは親しみのあるベースラインを上手く保って、グルーヴの決め手となっている。

ダニーとロバートは、バンド内では若い二人だけれど、音楽的知識は豊富で、徹底的に60年代のジャンルに熱中しているんだ。そこに加えて僕がいるんだから、このライブは見逃すわけにはいかないでしょ!


Q. The Animals のメンバーとしては初来日であるものの、日本には馴染みがありますよね。日本のキング・オブ・ロックと言われる忌野清志郎と仕事をしていたようですが、どのようにして一緒に仕事をするようになったのでしょう?また彼の第一印象を教えてください。

A. IAN DURY & THE BLOCKHEADS の曲にインスピレーションを受けていた清志郎が、ロンドンでのレコーディングでスタジオのバックバンドに THE BLOCKHEADS を起用して、僕にプロデュースの手助けをして欲しいと連絡があったんだ。僕の日本語能力はゼロで、彼の英語能力は限られていたけれど、ロンドンで会ったときに音楽を通して共感して、一緒に仕事をする上で良い関係性が固められたんだ。

彼はとてもロンドンが好きで、僕たちは彼のことを異国的だなって思った。歌声は感傷的で鮮やかで素晴らしい日本語の楽曲だった。……彼は、洋楽にもすごく興味を示していた。特にロックン・ロールにね。彼の全身にはいたるところに星が描かれていたよ。

僕たちは良い友達になって、彼に誘われて日本でアルバムのツアーもやったんだ。そこで初めて彼の人気ぶりや、ファン層も知った。そのツアーの模様を撮影、録音して ”HAPPY HEADS” と名付けられたアルバムとビデオも発売した。あとは TV 撮影もしたね。そのときには、彼の優れたエネルギーとカリスマ性も目撃した。スタジオ中が緊張していて彼が何を言うか、何をするかを怯えていた様子だった。申し分のない社会の反抗者だった。


Q. 清志郎さんに関しての興味深い話や逸話はありますか?

A. 面白かったのは、彼にバックボーカルを日本語で歌うよう言われたから、日本語に聞こえるように英語を当てはめながら工夫して、歌詞を覚えるようにしたこと。例えば、”ちょっと待ってくれ” を ”Chopped Tomato Puree” にしたりね!


Q. あなたは Frampton(フランプトン)や、 IAN DURY & THE BLOCKHEADS、Crash(クラッシュ)、Eurythmics(ユーリズミックス)等と共演してきましたが、他にイギリスのバンドで共演したかったバンドはいますか? 理由も教えてください。

A. うーん... ビートルズかな? 理由はやっぱり、彼らは歴史を変えたからね。ポール・マッカートニーとは仕事をしたことがあって、十分最高な経験だったけど、もしあの4人と座って何かできたら、また違う経験になることは間違いないね。


Q. 200年には39年活動休止していた The Animals に再加入しましたが、どのようにして実現したのでしょうか?

A. 覚えているのは、新聞を読んでいて、デイブ・ローベリー(僕の後釜としてアニマルズのキーボードプレイヤーとして加入したメンバー)が突然亡くなったことを知った時のことだ。エージェントが彼をブッキングしていたクラブやライブ会場と話をしていたんだ。たまたま当時、僕が住んでいた場所の近所のクラブにも連絡があり、そのクラブのスタッフが僕のことを知っていて、アニマルズの歴史も把握している人だったんだ。エージェントとそのスタッフが色々話していたみたいで、まあ口だけだろうと思っていだんたよね。でも、次の日にジョン・スティールとエージェントが実情を打ち明けてきて、それでジョンが「よう、久しぶり」って電話してきて、そのままエージェントとも話して... 1965年が再びやってきた感じだったよ!


Q.また何十年振りに昔の曲を演奏するのはどうでしたか?

A.良く作られた曲を演奏して、音楽的に広げる機会を持つことは、どんなミュージシャンにとってもつまらないわけがない。 The Animals の曲達は全て良く描かれていてから...最高だよ!


Q. 日本での思い出はありますか?また、滞在中にやりたいことがあれば教えてください。

A.日本でできた友達との思い出、彼らが連れて行ってくれた場所や話してくれたことについてだね。そして、清志郎の亡くなったことを悼んでいるよ。ただ、彼と過ごした時間は素敵な思い出として今も僕の中に残っている。 日本の文化は大好きで、もう一度京都へ行きたいな。今回のライブは東京のみだから時間がないけどね。


Q. 最後に、日本のファンへメッセージはありますか?

A. ぜひライブに来て声をかけてください。11月19日、20日新宿 MARZ で待ってるよ!
 

The Animals Greatest Hits Japan Tour 2018

日時:2018年11月19日(月)、11月20日(火)OPEN18:30、START 19:30
会場:SHINJIKU MARZ 東京都新宿区歌舞伎町2丁目45−1
料金:DOOR 8500円、ASV 9500円(税込/1DRINK別)

iFLYERアカウントをお持ちの方特別限定割引!! The Animals 来日公演チケットが先着5名様限定で4000円割引!!
11月19日公演はこちら( http://ifyr.tv/x3xz )
11月20日公演はこちら( http://ifyr.tv/x3xA )
アカウント登録は完全無料!! 急げ!!!