12.29 (Fri)
嘉門 達夫(かもん たつお、男性、1959年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。さくら咲く所属。大阪府茨木市出身。血液型A型。本名:鳥飼 達夫(とりかい たつお)。略歴*1959年3月25日、大阪府茨木市に生まれる。茨木市立中条小学校→茨木市立養精中学校→大阪府立春日丘高等学校卒業。小学校6年の時に近所に日本万国博覧会(大阪万博)が開催される。以降熱狂ファンになり、足繁く通いピンバッジを収集。コレクション数はクラスの3位になった。高校時代には笑福亭鶴光への弟子入りが決まっていたために3年の時には友人らと自主制作の映画撮影に没頭。*1975年 - 大阪府立春日丘高等学校在学中(当時16歳)、笑福亭鶴光(当時27歳)に弟子入り。友人が運転するカブで鶴光を追跡し、弟子入りを志願。弟子入りが決まった当時は高校在学中だったので、鶴光の勧めもあって、最初は放課後師匠の家に行く「通い弟子」の形を取っていた。高校卒業後は鶴光邸に住み込み、“笑福亭 笑光”(しょうふくてい しょうこう)の名を貰う。所属事務所は松竹芸能。同期に後に『笑っていいとも!』で共演するタモリがいる。*1978年 - 『MBSヤングタウン』(以下ヤンタン)にレギュラー出演。*1980年 - 笑福亭鶴光から破門を宣告され、松竹芸能との専属契約を解除される。担当番組も全て降板。その後、「自らを見つめ直す」という理由で程なくして日本放浪の旅へ。与論島やスキー場でアルバイトをしながら今のコミックソングのスタイルに行き着き、自らの目指す方向性を確立する。*1981年 - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃、偶然にもスキー場で作った曲が芸能プロダクション・アミューズの大里洋吉会長(当時)の耳に止まり、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」をアミューズの契約社員として有線等への営業回りの仕事をする事に。この時の縁がきっかけでサザンのコンサートの打ち上げ等にも参加する事もあり、バンドフロントマンの桑田佳祐とも面識が出来る。その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(省略)。最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”という名前を考えたが、嘉門が却下。その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける。以降、“嘉門 達夫”と名乗るようになった
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