西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年2月5日 - )は、日本の歌手・俳優・タレント。本名、今川 盛揮。鹿児島県鹿児島郡谷山町(のち谷山市、現・鹿児島市)出身。身長176cm、体重66kg、血液型A型。歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に、「御三家」と呼ばれた(徳川御三家になぞらえて命名された)。芸名は明治維新の三傑の一人、西郷隆盛にちなむ。来歴・人物幼少の頃から芸事に傾倒し、小学生時代は剣舞や絵画を習ったり、近所の子供を集めては自身で作った紙芝居を披露したり、地元の慈眼寺公園でチャンバラごっこに明け暮れる少年だった。中学に入ると主としてスポーツに力を入れ、野球、テニス、バレーなど、あらゆるスポーツをそつなくこなす少年であった。背が高かったこともあり、他のクラブから試合への参加を頼まれることもあったとのことである。またジャズが好きだった兄の影響で音楽にも傾倒し,将来は歌手になりたいとの夢を抱いていた一方、石原裕次郎、小林旭などダイヤモンドラインと言われた日活映画に憧れ映画俳優になりたいとの夢もあり、当時あった映画会社5社のニューフェイスに応募したが結果は落選だった。1962年に鹿児島商業高校中退後、鹿児島からヒッチハイクで大阪に行きアルバイトサロン(略してアルサロ)でボーイをしながら、かねてから下見をしていた有名なジャズ喫茶のオーディションを受けるも落選し途方に暮れていたところを、審査員の口利きでバンドボーイとなる。その後京都、名古屋などをぐるぐるまわりながらバンド活動をしていたところを龍美プロに誘われ入社。1964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。しかし事務所が解散し東京第一プロダクション(現 第一プロ)へ移籍するも同社を退社した相澤秀禎マネージャー(業務成績不振及び素行不良が原因で退社)の画策により1965年にクラウンレコード、太平洋テレビなどと共同出資(西郷は50%)によって誠和プロを設立し当面はクラウン・レコード宣伝部に事務所を置き社長業を兼ねる。ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。
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