02.17 (Sat)
George Murasaki : Hammond Organ, piano, and synthesizers
Hiroto "JJ" Arasaki : Lead and harmony vocals
Yukio "GG" Shimoji : Lead and rythm guitars
清正 (Kiyomasa) : Lead and rhythm guitars
Chris : Bass guitar
Chibi : Drums
1970年、リーダーのジョージ紫 (Key)を中心に「紫」を結成。その後何度かのメンバー・チェンジを経て、1975年、ジョージ紫、宮永英一[Chibi] (Dr, Vo)、城間正男 (Vo)、城間俊雄 (B)、比嘉清正[Keith] (G)、下地行男[GG] (G)の6人編成で本格的な活動に入る。
同年8月8日、大阪「8・8ロック・デー」に突如ゲストとして登場し、圧倒的なライブ・パフォーマンスで 6,000人いた観客は総立ちに。「紫」の名を一気に全国へと広めた。
1976年4月には1stアルバム「MURASAKI」をリリース。卓越した技術と 多彩な感情を表現する楽曲は、日本のロック史上に大きな足跡を残し、4万枚のセールスを記録。
同年12月には2ndアルバム「IMPACT」をリリース。 北海道から九州にわたるジャパン・ツアーを敢行。ハード・ロック・バンドとして他を圧倒する支持を集めるようになる。
1977年、ライヴ・アルバム 「DOIN' OUR THING」を発表、音楽誌「ミュージック・ライフ」での人気投票では、1977年の国内部門グループ第1位を獲得。
翌1978年の同人気投票に於いては ジョージ紫が国内部門キーボード・プレーヤーとして第1位に選ばれ、Chibiもドラマー部門で第3位に入り、メンバー全員が各プレイヤー部門でそれぞれ トップ・テンにランキング入りするなど、当時の音楽シーンを名実ともにリードする存在となる。
しかし人気絶頂の1978年、ジョージ紫、Chibi、清正 の3人が脱退を決め、9月に当時のメンバーとしてのラスト・コンサートを行う。「紫」は城間兄弟とGGが中心となり活動を継続するが、1981年に解散する。
ジョージ紫は[紫]脱退後「George Murasaki & Mariner」を結成、2枚のアルバムを米国でレコーディングし、日本でリリース後解散。1983年には、オリジナル・メンバーで「紫」を再結成し、 現在の「ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバル」のスタートとなる"MURASAKI! Why now? Peaceful Love Rock Concert" を開催。
その直後、ジョージ紫はChibiをボーカリストに迎え「OKINAWA」を結成、1986年には新生「紫」... More Biography
Hiroto "JJ" Arasaki : Lead and harmony vocals
Yukio "GG" Shimoji : Lead and rythm guitars
清正 (Kiyomasa) : Lead and rhythm guitars
Chris : Bass guitar
Chibi : Drums
1970年、リーダーのジョージ紫 (Key)を中心に「紫」を結成。その後何度かのメンバー・チェンジを経て、1975年、ジョージ紫、宮永英一[Chibi] (Dr, Vo)、城間正男 (Vo)、城間俊雄 (B)、比嘉清正[Keith] (G)、下地行男[GG] (G)の6人編成で本格的な活動に入る。
同年8月8日、大阪「8・8ロック・デー」に突如ゲストとして登場し、圧倒的なライブ・パフォーマンスで 6,000人いた観客は総立ちに。「紫」の名を一気に全国へと広めた。
1976年4月には1stアルバム「MURASAKI」をリリース。卓越した技術と 多彩な感情を表現する楽曲は、日本のロック史上に大きな足跡を残し、4万枚のセールスを記録。
同年12月には2ndアルバム「IMPACT」をリリース。 北海道から九州にわたるジャパン・ツアーを敢行。ハード・ロック・バンドとして他を圧倒する支持を集めるようになる。
1977年、ライヴ・アルバム 「DOIN' OUR THING」を発表、音楽誌「ミュージック・ライフ」での人気投票では、1977年の国内部門グループ第1位を獲得。
翌1978年の同人気投票に於いては ジョージ紫が国内部門キーボード・プレーヤーとして第1位に選ばれ、Chibiもドラマー部門で第3位に入り、メンバー全員が各プレイヤー部門でそれぞれ トップ・テンにランキング入りするなど、当時の音楽シーンを名実ともにリードする存在となる。
しかし人気絶頂の1978年、ジョージ紫、Chibi、清正 の3人が脱退を決め、9月に当時のメンバーとしてのラスト・コンサートを行う。「紫」は城間兄弟とGGが中心となり活動を継続するが、1981年に解散する。
ジョージ紫は[紫]脱退後「George Murasaki & Mariner」を結成、2枚のアルバムを米国でレコーディングし、日本でリリース後解散。1983年には、オリジナル・メンバーで「紫」を再結成し、 現在の「ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバル」のスタートとなる"MURASAKI! Why now? Peaceful Love Rock Concert" を開催。
その直後、ジョージ紫はChibiをボーカリストに迎え「OKINAWA」を結成、1986年には新生「紫」... More Biography