<公演延期 Postponed >WORLD CLASS 5th Anniversary feat. YELLOW CLAW
古川 登志夫(ふるかわ としお、1946年7月16日 - )は、日本の男性声優、俳優、ナレーター、劇作家、ギタリスト。青二プロダクション所属。(省略)来歴栃木県栃木市(旧下都賀郡大平町)出身。10男5女の15人兄弟の末っ子として生まれた。長兄の善一郎は太平洋戦争時に重巡洋艦鳥海の機関砲手を務めていたが、艦が爆撃を受けてフィリピン海で没し、22歳で戦死している。古川が生まれた時、両親から「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言っていたことを、兄の忠治から教えられた。また、その兄の忠治が、「何かひょうきんでおもしろいからそういうことをやらせよう」と栃木から東京へ呼び児童劇団に通うことになり、古川が12歳で芸能界を目指すことになったきっかけを作ってくれたという。日本大学芸術学部演劇学科卒。在学中は殺陣同志会に在籍した。このため『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』では怪獣の中に入っていたという記述もあるが、本人は自身のホームページで、声での出演履歴であり、スーツアクター経験を否定している。卒業後に舞台俳優になろうと劇団「櫂(KAI)」に参加。その劇団の座長をやっていた中田浩二に誘われ、スタジオを見学した際にディレクターやオーディションを紹介された。このことを古川は、「その劇団に入っていなかったら、たぶん、声優にはなっていなかった」と回想し、感謝していると述べている。声優として最初に出会った作品を25歳の時の東北新社提供の『FBIアメリカ連邦警察』、初レギュラーを『大草原の小さな家』と回想している。それまで、兵士Aなどの端役を演じたことがあったが、絶対に無理だろうと受けたオーディションで主役に抜擢され、以降アニメの仕事が一気に増えた。そのため、劇団の稽古に立てず舞台にも出られないため、青二プロに移籍した。参考にするため見学にいったスタジオで収録をしていた古谷徹の演技に衝撃を受けたという。二枚目から三枚目まで、幅広い役をこなす。声優業以外にも、1980年には「テーマ主義に立脚したオリジナル作品の上演」を標榜して劇団青杜(げきだんせいとう)を創立し、代表として多くの公演で作・演出を担当した(創作した戯曲は著作参照) 。2003年に解散後も劇作活動を続けている。古谷徹ら声優仲間とともにバンド「スラップスティック」を結成し、数々の歌番組で歌を披露した。
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