坂崎 幸之助(さかざき こうのすけ、1954年4月15日 - )は、ロックバンド・THE ALFEEのメンバーである。
芸名は、自分の名前がインパクトがないため嫌だったことと、家の隣が電器屋だったことにより、パナソニックの創業者・松下幸之助にちなんでつけた。
アルフィーの初期のリーダーであり、今でもトークは坂崎が中心である。ギター、及びボーカル担当、ブルースハープ、パーカッション、マンドリン、ウクレレ、バンジョーなども演奏する。またレコーディングでは、シタールを演奏したこともある。
実家は墨田区の酒屋・武蔵屋坂崎商店。なお、エッセイスト・造園家・編集者で日本路地・横丁学会の会長でもある坂崎重盛は叔父。ビジュアル系インディーズバンド「AILE」の元ベーシストである彩は甥である。また従兄弟はももいろクローバーZのマネージャーを務めている[1]。
幅広い交友関係を持つメンバーの中でもその交友関係は群を抜いて広く、音楽関係者のみならず田中長徳や赤瀬川源平、内山りゅう、中村征夫といったカメラ繋がりの有名人や矢追純一等、多岐に及ぶ。過去には、田中長徳が主催する東京カメラクラブのメンバーに招かれている程である。
メンバーの中でも特に話術に長けており、幼少期に落語家を志したというだけあって、ラジオやステージ上のMC等で聴くことが出来る軽妙かつ面白いトークで、"God Of DJ"の異名を取るほどである。かつて『スーパーFMマガジン・坂崎幸之助のNoru-Soru』が放送されていた頃は「FMステーション」誌のラジオパーソナリティ人気投票で、必ずといっていいほど上位にランクされていた。しかし、かつてはその喋りが仇となったのか、『スーパーFMマガジン』がスタートする以前は「社風に合わないから」という理由で、TOKYO-FMに出入り禁止にされていたと番組の最終回で語っていた。本人曰く「新曲を出しても高見沢や桜井は呼ばれるのに俺だけ出入り禁止なんて、こんなバカな話は無い(笑)」。
また、物真似も達者である。特に、南こうせつの真似はかなりの物で、かつてフジテレビ『LOVE LOVEあいしてる』で、後ろを向いたKinKi Kidsに、2人でそれぞれ同じ歌を歌い、どちらが本物か当てさせるクイズを行ったところ、「全然わかんねー!!」と言わしめた。他にも、加藤和彦や忌野清志郎、あがた森魚、吉田拓郎、バリー・ギブ(ビージーズ)など、レパートリーは多数である。
デビュー当時より眼鏡をかけており、特に90年代以降は縁が太いものをかけることが多くなっている。また、再デビューの頃から90年頃までは黒髪のカーリーヘアであったが、現在は茶髪にしストレートな髪型である。
アルフィーが売れない頃から、所ジョージと親交が厚く、所のアルバムでのアレンジ・ギター演奏の他、所とタモリのジョイントコンサートにギターで参加したり、映画『下落合焼とりムービー』での共演等もした。同じアパートで寝食を共にしていた時期もある。1970年代後半、『所ジョージのオールナイトニッポン』に2時半の男として登場。当時は「坂崎こうのとり」と呼ばれていた。番組当日、所と家で曲作りをして一緒にニッポン放送へ向かい、出来た曲を番組内で披露するということをしていた。所の初期の未発表曲で、本人が忘れている曲でも坂崎だけが憶えている曲があるという。後に、番組パーソナリティの座を譲られている。
ラジオ専門誌のDJ人気投票では、何度も1位に輝き、「KING OF DJ」を経て、現在では「GOD OF DJ」と称されている。
現在も、ラジオのFM放送で自分の番組を持っており、NACK5の『K's TRANSMISSION』とJFN系列の『坂崎さんの番組という番組』の2番組でアルフィーの情報や自身のライブ、自らのリスペクトするアーティストの特集など自身の関心に沿った特徴ある番組づくりをしている。
『K's TRANSMISSION』で放送された「イムジン河」の特集をきっかけに、映画監督の井筒和幸がこの番組を取材し、『パッチギ!』の原案に重要な影響を与えている。作品に出てくる「坂崎」は、坂崎本人と坂崎兄をモデルとした役柄になっている。また、この特集がきっかけでフォークルの「イムジン河」の1967年に果たせなかった発売が実現することとなり、そのことが加藤和彦と坂崎を結びつけることとなった。