Tue, 03 Oct 2023
高校卒業後は、カルフォルニア大学サンタ・バーバラ校に進学。「昔から、ボロいカメラで友達のライディングを撮影しては、好きな音楽をのせて VHSに編集するのが好きだったんだ」というジャックは、専攻を数学から映画へと変え、卒業後、(在学中に出会った現在の妻=キムとのヨーロッパ放浪の旅 の後に)ハワイに戻ると本格的な映像制作に着手。そして1999年、サーフ仲間のマロイズと組み、最初のサーフムーヴィー『シッカー・ザン・ウォーター』 を完成させる。スレイターやマチャドなど、世界を代表するトップ・サーファー達の姿を捉えたそのドキュメントは、世界中のサーファー間で評判となり、アメ リカを代表するサーフ誌=『Surfer』では最優秀ビデオ賞も獲得する。
ゆったりと流れる時間、自然が創り出す波の美しさ、そしてそれを追い求めるサーファー達のスピリットや友情をも表現した『シッカー・ザン・ ウォーター』は、テクニックやコンペティティヴな要素最優先であった既存のサーフムーヴィーの価値観を大きく変えてしまったと言われる。そんなオーガニッ クな作品を彩り、映像同様に強烈な印象を残したのが音楽だった。「波を待っている時は、頭の中をゆったりとしたリズムが流れているんだよ」と語るジャック は、それまでのサーフムーヴィーの中で定石のように鳴っていたハードなロックではなく、シンプルでアコースティックな優しいサウンドを中心に乗せた。そし てそのハイライトは、ジャック自らが奏でたものだったのだ。
そんなジャックの音楽の才に、いち早く注目したのがGラヴだった。1999年リリースの4作目『フィラデルフォニック』にジャックの「ロデオ・ クラウンズ」を採用、それはアルバムからの1stシングルにもなった。同じ頃、ベン・ハーパーの右腕として知られるJPプルニエとサーフィン仲間となり、 手渡したデモテープが彼の心を掴んだ。そして遂に、ハーパーが新たに設立するインディ・レーベル=エンジ... More Biography