Wed, 12 Feb 2025
シカゴ出身1977年6月生まれ。シカゴの美大に通うが一年で退学、トラック・メイキングに専念するようになる。2000年、ジェイ・Z『ザ・ダイナスティ?ロッカ・ラ・ファミリア』に「ディス・キャント・ビー・ライフ」を提供、以後『ザ・ブループリント』では「Izzo(H.O.V.A.)」、『ザ・ブループリント?』では「'03ボニー&クライド」と、手掛けた楽曲は何れも1stシングルとなり、ジェイ・Zが"リスペクトするプロデューサーだけに楽曲提供を依頼した"という『ザ・ブラック・アルバム』でも2曲提供している。2002年、MCとしてロッカフェラと契約、2004年、『カレッジ・ドロップアウト』で満を持してのアルバム・デビュー、初登場2位を記録、全世界約450万枚を突破するモンスター・アルバムとなる。「スルー・ザ・ワイアー」「ジーザス・ウォーク」「オール・フォールズ・ダウン」「スロー・ジャムズ」など数々のシングル・クラシックスを生み出す。第47回グラミー賞ではアーティスト、ソングライター、プロデューサーとして合計10の最多ノミネーションを得るという快挙を成し、3部門を受賞。2005年全米タイム誌にて「今日の世界に生きる最も影響力の強い100人」の一人に選定、作品の影響やメッセージの複雑さが賞賛。2005年度BETアワードでは唯一の複数受賞者となる。同年8月にセカンド・アルバム『レイト・レジストレーション』をリリース、全米初登場1位。「ダイアモンドは永遠に」「ゴールド・ディガー」「タッチ・ザ・スカイ」「ハード・エム・セイ」などのシングルが、世界各地で大ヒット。セカンド・アルバムはファースト・アルバムを上回る約500万枚の特大ヒットをまたしても生み出し、翌2006年初頭の第48回グラミー賞主要部門に2年連続で最多8部門ノミネート、ベスト・ラップ・アルバム、ベスト・ラップ・ソング他計3部門を受賞。2007年3月末には"スプリング・グルーヴ"出演の為、再度来日を果たす。2008年にリリースした『808s&ハートブレイク』では全編を通して「歌っている」ことや、それまでの作品とは異なったサウンドのため、賛否両論を巻き起こすこととなるものの、全米では初登場1位を記録。さらに、250万枚以上のワールド・セールスを記録するなど、実験的でありながら、商業的な結果も残した。その後、最愛の母を失ったことによる精神的ショックにより、VMA授賞式ではテイラー・スイフトの受賞スピーチ中に壇上に上がり、マイクを奪う暴挙に。この行動により想像以上のバッシングを浴びることになったカニエは姿を一時メディアの前から姿を消し、世界各地を放浪。東京にも長期滞在していた。その後、本作のレコーディングに本腰を入れるべく、ハワイのスタジオでレコーディングを開始。"原点回帰"、"ヒップホップ回帰"等と報じられる...
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