>>PRYDAPRYDA 15 VOL III の視聴はこちらからち
そしてファン待望のラジオ番組「EPIC RADIO」が、LA 時間10月11日午後3時(日本時間10月12日午前7時)に Apple Music にて再開されると自身の SNS で報告。EPIC RADIO は2012年にスタートし、EPIC RADIO "Season 2" の最終エピソードが2017年12月にアップされて以来、投稿が止まっていた。
CONFIRMED: @ericprydz returns to Beats 1 with #EPICRADIO. Hear new episodes beginning October 11th. Catch up on Seasons 1 and 2 now on @AppleMusic. https://t.co/hvHOOIOUzE pic.twitter.com/aW8sY5dBb8
— Beats 1 (@Beats1) October 3, 2019
Back tomorrow!! 3pm LA / 6pm NY / 11pm LDN...@beats1official #EPICRADIO
Eric Prydzさん(@ericprydz)がシェアした投稿 -
>>EPIC Radio on Beats 1視聴はこちらから
Listen to my full interview with @zanelowe live on @Beats1 at 10am LA / 1pm NY / 6pm LDNhttps://t.co/Fhg5A1XnHR pic.twitter.com/f1CJmviFRh
— Eric Prydz (@ericprydz) October 9, 2019
"Pjanoo"について
(一部抜粋)
"Pjanoo" はとても簡単で、1日で制作を終えた。"Pjanoo" を制作した週にイギリスでショーがあった。そこで初めて "Pjanoo" をプレイした。その時の観客のリアクションは非常に薄くて、完全に失敗だった。全然ウケなかったんだ。だから2年半程 "Pjanoo" のことを完全に忘れていたんだ。
その後、スウェーデンでクリスマスにショーをしたんだけど、僕の CD コレクションの中に古い CD を見つけて、そこでもう一度 "Pjanoo" をプレイしてみようと思った。そして、プレイしたら観客にとてもウケた。観客たちはムービーを撮っていたから、それを YouTube にアップしたんだ。後はもうみんな分かると思うけど、ヒットした。
どうやってヒット曲を出せばいいかなんて、僕は未だにわからないよ。何か曲をリリースしたとして、"今" リリースしたからこそヒットしたかもしれないし、2か月前にリリースしていたらヒットしていたかもしれないし、もしかしたら2年後にリリースしたらヒットするかもしれない。全く分からないよ。
僕は、"Pjanoo" から学んだんだよ、ヒット曲を出そうって意気込んでも仕方ないってね。
Pjanoo (Radio Edit)
楽曲制作ついて
(一部抜粋)
もしも自分の音楽を作りたいと思っているなら、他のアーティストがどうやって楽曲を制作しているかを教えてくれるような学校に行かない方がいいかもしれない。例えばどういったことが正解で、どういったことが間違っている、そういったことを教えてくれるような場所って言うのかな。音楽制作に関するルールを学んでしまうと、いきなり自分自身が隅っこに追いやられてしまう感覚になるんだ。だから僕は学校に行っていない。
飛行機が苦手な事について
(一部抜粋)
僕は飛行機嫌いを克服するために、セラピーに行ったり思いつく全てのことを試したよ。1番初めにストックホルムで会ったセラピストに飛行場で待ち合わせをしようと言われたんだ。そのセラピストはセスナ機を持っていて、僕のために用意していたんだ。離陸はしないけどセスナ機に乗って、飛行場を行ったり来たりしてみようって言われたんだ。だけど彼は離陸したんだ!! 僕は物凄くショックで、完全にパニック障害に陥った。ショック療法なんてものじゃないよ。そうだね、僕は沢山のことを試してきたよ、もちろん今は飛行機には乗るけど、小さな飛行機がダメなんだ、墜落するかも……などと考えてしまう訳ではないから、飛行機自体が怖いってことではない。おそらく苦手な理由は、自分自身の問題だと思っている。
Swedish House Mafiaとの関係について
(一部抜粋)
そうだね、僕は Swedish House Mafia がスタートした時から一緒にいたよ。だけど Steve、Axwell、Ingrosso がこのプロジェクトを正式に始めようとしたときと、それ以前の SHM は全く違うんだ。僕たちはストックホルムで生まれ育って仲が良かったし、離れられない存在だった。僕たち4人はそれぞれ近隣にスタジオを持っていたし、新しいタイプのエレクトロハウスってゆうのかな...? どういった名前でもいいんだけど、お互いを高め合っていたし、お互いをインスパイアしていたね。そう、だから SHM と呼ばれるようになったとき、僕は完全に一員であったのは間違いないね。
その時期に1番起こって良かったと思われることが、実際に起こったんだ。それは、僕が SHM から離れて、ロンドンに引っ越したことだ。僕の音楽と僕の音楽の見方が、彼らが好きなものとは違っていたから。(でもその結果、SHMもEricもお互いのプロジェクトが成功した)僕は本当に彼らのことを誇りに思っているよ。
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