ヴィンセント・ギャロ。1962年アメリカ、ニューヨーク州バッファローに生まれる。1978年に家を出てニューヨーク・シティに移り、アーティストのジャン=ミシェル・バスキアと共に実験的音楽グループ「GRAY(グレイ)」の活動を始める。GRAY脱退後は元GRAYのバンドメンバー、ウェイン・リチャード・クリフォードと「Bohack(ボーハック)」というバンドを結成し、高い評価を得ているアヴァンギャルド・インダストリアル・ノイズアルバム、「It Took Several Wives(イット・トゥック・セベラル・ワイブス)」をレコーディングする。ギャロは、閉鎖されたスタジオで捨てられていたたくさんのアンティーク機材を見つけてレコーディング機材を集め、自身のレコーディングスタジオ「The University of Electronic Magnetic Tape Recording Music Studios(ザ・ユニバーシティ・オブ・エレクトロニック・マグネティック・テープ・レコーディング・ミュージック・スタジオ)」またの名を「American Indian Studios(アメリカン・インディアン・スタジオ)」とし、そこでBohackの作品をプロデュースした。
同時期にギャロは、奇抜なストリートパフォーマンスでニューヨーク・シティで人に知られるようになる。彼のパフォーマンスは公共の場で自発的に行われ、ギャロのことを知る人たちをゲストとして呼び、目撃された。彼のパフォーマンスを幾つか挙げると「The One Armed Man(ザ・ワン・アームド・マン)」「The Man with No Face(ザ・マン・ウィズ・ノー・フェイス)」「Sandman(サンドマン)」「Boy Hit by a Car(ボーイ・ヒット・バイ・ア・カー)」そして「Boy Cries in Restaurant Window(ボーイ・クライズ・イン・レストラン・ウィンドウ)」などがある。これらの公共の場での過激なパフォーマンスは人々を動揺させ、不安にさせるもので、思考、内省、意識を触発することを目的として行われた。ギャロに招かれた人々は、彼のパフォーマンスの効果を公共の場という大きな環境を介して目にすることができた。
ニューヨークのアンダーグラウンド映画製作者エリック・ミッチェルは、ギャロのパフォーマンスに招かれた後、自身の映画「The Way It Is(ザ・ウェイ・イット・イズ)」に、当時新人であったスティーブ・ブシェミと共にギャロを主役として起用した。「The Way It Is」がギャロにとって初の長編映画出演になるが、それ以前にもギャロは、「If You Feel Froggy Jump(イフ・ユー・フィール・フロッギー・ジャンプ)」「The Gun Lover(ザ・ガン・ラバ...
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