04.17 (Wed)
庄野 真代(しょうの まよ、本名:庄野 眞代、1954年12月23日 - )は、大阪府大阪市出身の歌手である。ルフラン所属。NPO法人国境なき楽団理事(現代表)。血液型B型。来歴少女時代は病弱な少女で、オルガン教室に通うなどしていた。小学校高学年から活発になり、中学時代は生徒会活動に没頭。大阪府立東淀川高等学校への入学と同時に演奏活動を始め、以後はオーディションへの参加に明け暮れていた。大学受験に失敗して浪人することになった後も音楽活動を続け、ヤマハボーカルオーディションに合格。合歓音楽院にて研修を受けることになった。音楽活動をやめることを考えていた20歳のときに、最後に何か音楽活動の証になることをしようと思って「フォーク音楽祭」に参加したところ、予選を次々と突破。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされた。1976年、コロムビアからデビューLP「あとりえ」が発売され、都会派ニューミュージックの歌手として注目されるようになる。2年後の1978年には代表曲「飛んでイスタンブール」と「モンテカルロで乾杯」が大ヒットし、その年の『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場した。1980年には世界一周の旅に出て、1年間で28か国を渡り歩いた。歌手活動のほか、講演・司会・リポーターなどを務め、ミュージカルやテレビドラマに出演するなど精力的に活動した。1991年にはシンガポール・マレーシア・香港でCDデビューし、アジアでの活動を開始した。2000年、法政大学人間環境学部に入学。1年間の英国留学などを経て2004年に卒業。また、同年9月には早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学科に入学するなど、歌手活動と並行して学業にも打ち込んだ。チャリティーコンサートなどにも積極的に参加している。2002年、中森明菜が庄野の楽曲「adieu 〜アデュー」をカバーした。庄野は中森の8枚目のシングルにあたる「サザン・ウインド」のB面曲「夢遙か」の作詞も手掛けている。2010年、第22回参議院議員通常選挙に民主党から比例区で立候補した。しかし、結果は落選に終わった。私生活では1977年に作曲家の小泉まさみと結婚し、2女を儲けたが、小泉とは後に離婚している。同時期デビューのシンガーソングライター・渡辺真知子とは友人関係にある。選択的夫婦別姓制度に賛成。
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