フジロック公式ファンサイト「FUJIROCKERS.org」には、フジロックと同じだけの歴史が秘められている。
iFLYERでは、現在のFUJIROCKERS.orgの中心メンバーの皆さんにインタビュー。
数回に分けて「FUJIROCKER.org」の実態と、現場で働く皆さんの様子をお伝えしてきた。

▼前回までのインタビューはこちら▼
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】どんな活動をしてるの? 前編
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】どんな活動をしてるの? 後編
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】ボス・花房氏が語るフジロック誕生秘話!〜その1〜​

今回は、前回に引き続き「FUJIROCKERS.org」代表花房浩一氏に、フジロックとFUJIROCKERS.orgについてを語っていただいた。
 

前回までのあらすじ…

身一つで世界を見聞するために日本を飛び出た若かりし日のFUJIROCKERS.org代表・花房氏は、辿り着いたブライトンのコミューンのような家に住む友人たちに誘われて、グラストンベリーフェスティバルへ。そこで衝撃を受けた花房氏は、帰国後にミュージックジャーナリストとなり、SMASH代表・日高氏と出会う。花房氏によってグラストンベリーフェスティバルへと誘われた日高氏は、やはりそこで同じように衝撃を受け、日本でもグラストンベリーのようなフェスをやりたい!と熱い思いを馳せる。それがFUJIROCK FESTIVALの原点となった。
しかし、当時の日本の音楽業界は非常に閉鎖的かつ保守的で、さらに音楽ファンたちも本来の音楽の楽しみ方をまだ知らなかった。二人は保守的な日本のカルチャーに抗いながら、新しい音楽文化の幕開けに挑もうとしていた…!!

▼前回のお話はこちら▼
フジロック公式ファンサイト【FUJIROCKERS.org】ボス・花房氏が語るフジロック誕生秘話!〜その1〜
 

インターネット黎明期の波に乗り遅れるな!

97年の1月、大阪のパティ・スミスのライブにいたときに、日高氏から連絡が来て「フジロックやるよ、手伝ってくれる?」って言われた。フジロックの当時のスタッフは、実は現在のスタッフと同じなんだけど、あいつらは「SMASH倒産するよ! フジロックなんかやったら絶対潰れるよ、できるわけない」と言ってた。常識的にはそうかもしれなけど、俺は倒産しようとどうしようと関係ないから、日高氏に「オッケー、手伝うよ」と答えた。
折しも当時は、インターネット黎明期。95年前後からWEBサイトなどが作られるようになり、実は日本のプロモーターの中で真っ先にWEBサイトを作ったのはSMASHなんだけど、全部、俺のアイデアで仲間に作ってもらったんだ。当時はプロモーターがwebにお金をかけるなんてありえなかったけど、日高氏はGOサインを出した。フジロックが始まったときも、WEBサイトを作って、そこでキャンペーンをやろうと言って始めたんだよね。
 

赤いリボンを目印に、FUJIROCKERS.orgの活動開始

第一回目のフジロックが開催された時、すでに稼働していた公式サイトBBSLet’s get togther bord」の中で友達になっていた皆が「実際に会いたいよね」って話になって、じゃあ会場で目印として赤いリボンをつけよう、ということになった... なんてこともあったね。「Let’s get togther bord」のネーミングは、ザ・ヤングブラッズの名曲「Get Together」から取ったもので、みんな繋がりたかったんだろうね。オフ会的なものは以前から時々やっていたんだけど、当時はまだ、フジロック自体が今ほどビジネスライクではなくて、日高氏も実は「Let’s get togther bord」に「お前、そんなこと言うならチケット代返すから来るな!」とか書き込んでた。今じゃ有り得ないけど(笑)。でも、第一回目のフジロックの後、日高氏も「やっぱビジネスだし、俺代表だから、これじゃやばいよね…」となって、じゃあオフィシャルはオフィシャルで、俺は「FUJIROCKERS」という公式ファンサイトという形に分けようか!という話になった。俺はオフィシャルWEBサイトを作りつつ、BBSも作った。BBSはあのとき、主催者や関係者、参加する人々を結びつけるために一番重要だった。

97年、ジョー・ストラマーがフジロックにシークレットゲストとして遊びに来ていた。俺がFUJIROCK EXPRESS(※FUJIROCKERS.org内のコンテンツ。フジロックの速報レポート)の作業をしていたら「何やってんの、お前」と尋ねられて、こういうことやってんだ、って説明したら「え〜っ、インターネットってそんなことできるんだ!?」って驚いていて。ちょうどその時、「Let’s get togther bord」に、ジョー・ストラマーの名前で書き込みがされてて「お前じゃないよな?」って本人に聞いたら「俺じゃない俺じゃない」って言われたけど、その書き込みのドメインの名前が「riot.org」だった。ライオット・オーガニゼーション。かっこいいじゃん、って思って、公式ファンサイトの名前を「FUJIROCKERS.org」にしたわけ。それが「FUJIROCKERS.org」の名前の由来。


日高氏も「何かあったら全面的に手伝う」ということで、俺はFUJIROCKERS.orgをやることになった。こっちが本音、あっちがビジネス、みたいな感じでやり始めた。もともと、俺たちがやろうとしていることのルーツは一緒で、オルタナティブなパートである我々ビジネスパートのフジロックとして別々の道を歩み、バランスを取って形にしていこうとしていた。もちろん誤解はされたよね。「あんたたちフジロックのサービス機関なんじゃないの?」って。違うから。FUJIROCKER.orgは客に奉仕するために存在しているわけじゃないよ。


97年当時のFUJIROCK EXPRESS
 

第一回目のフジロック、集ったは良いが叩かれて…

1997年、山梨県富士天神山スキー場で開催された第一回目のフジロック。その1日目に出演したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは、フジロック前の段階ではアルバムセールスが3万弱だったんだよね。それが、フジロック直後に急激に売り上げが伸びて、10万枚も売れちゃった。音楽フェスティバルというものがどれほどプロモーションにとって有効かということを、レコード会社が痛烈に理解した瞬間だよね。

BBSを作ったときに「Let’s get togther bord」と名付けたのは「皆一緒になろうよ、集まろうよ!」というコンセプトにしたかったから。でも、確かに皆が集まって来る勢いは凄かったんだけど、フェス慣れしてない有象無象が集まってくるわけなので、その中にはいろんな奴がいた。とある奴は、俺のところに来てこういうこと言うわけよ。「おかげさまで、ライブで一番前をブン取れました!」って。フェスってコンサートみたいに一番早く来て一番前でずっと待ってるっていうもんじゃないのに。バカじゃねえかと。でも、フェスに慣れていない人ばかりの当時、それが普通だったわけ。まあ、今もそういうのはいるけど(笑)。

そんな感じだったので、97年みたいな事件が起きると、俺たちは叩かれまくるわけですわ。BBSにも物凄いアクセスがあって、インターネットがダウンしちゃう程だった。書き込みには「殺してやるぞ」とか「てめーらぶん殴ってやる」とか罵詈雑言の嵐で、でも俺と日高氏は言いたいように言わせとけ、って感じだった。ネットだったらなんでも言えるんですよ。もちろんスタッフの中には泣いてる人もいたけどね。電話で抗議してきた人にはきちんと説明して対応したけど、ネットの世界だとなかなかそうもいかないもんだ。


Photo http://www.fujirockfestival.com/

もちろん、自分たちが完璧に間違っていなかったとは思わない。日本で初めてあれだけ大規模なイベントをするってのに、経験者は誰もいなかった。お客さんも、フェスティバルってものを誰も分かっていなかった。それを把握仕切れていなかった。
面白かったのは、97年の嵐の中、外国人のお客さんが凄く楽しんでたこと。彼らはフェス慣れしてるから、嵐の中ダーッとスライディングして遊んだりしてた。でも、フェス慣れしていなかった日本人はそうもいかなかった。俺たちは叩かれる一方で、しかも翌年も同じ場所でやろうとしたら拒否されて、他の会場を探すことになった。
98年はもっとやばかった。新たな候補地として、当初は今朝霧JAMをやってる静岡県富士宮市朝霧アリーナと、三重県の合歓の郷が挙がってたんだけど、最終的にもう東京でやることになった。でも、そこでも強い圧力を受けた。例えば、救護テントは消防所に利用者数を報告しなきゃならないんだけど、その中の大半は絆創膏くれとかそんなレベルなのに、その数だけ聞いて「何百人が救護テントに来た」とか、暑くて寝転がってるオーディエンスの姿をヘリコプターで撮影して「一千人バタバタ」とか放送局(テレビ)が報道して、大ニュースになっちゃった。メディアは自分たちが望んでるものを作っちゃうからね。
 

なんとか開催に漕ぎ付けるも、波乱続きのフジロック。一体どうなってしまうのか!?
次回、フジロックがとうとう苗場にやって来る! 乞うご期待!

Interview by きのや
 

フジロッカーズ・バー、やってるよ!

コンセプトは「Let's Get Together & Have Fun」!
毎月第二金曜日、下北沢の開催されるフジロッカーのイベント。
初心者大歓迎!音楽とお酒、そして楽しい音楽仲間との出会いとお喋りを楽しみたい方はぜひどうぞ!
FUJIROCKERS.orgのボス、花房氏にも会えちゃうかも!?

開催日時:毎月第二金曜日、19:30 - 23:00
開催場所:下北沢 メンフィス兄弟
料金:ファーストドリンクが1000円(あとはメニュー通りの金額です)

FACEBOOKイベントページ
https://www.facebook.com/events/106871196510491/