変化の激しい音楽業界で、不動の位置を保っているレジェンド DJ TIËSTO(ティエスト/ 本名 Tijs Michiel Verwest/タイズ・ミヒール・ビェルウェスト)。
TIËSTO は90年代から音楽をプロデュースしてきており、彼の功績がダンスミュージックを現在の位置まで高めたといっても過言ではない。彼の影響がなければ、ダンスミュージックとフェスティバル産業は全く違うものになっていたことだろう。

Tiësto のこれまでの功績に敬意を評して、キャリアの初期に Tiësto との関わりが深く、今ではスパースターとなった DJ たちをリストにまとめてみた。
 

1. HARDWELL(ハードウェル)


14歳の時からオランダのクラブを定期的に回っていた Hardwell は、若い頃から既ににキャリアを積んでいた。2010年に Tiësto がツイッターで連絡を取り、2011年にはコラボ曲「Zero 76.」をリリース。この曲は2010年代を象徴するダンスミュージック・アンセムの一つと言われており、Hardwell が世界のダンスミュージックのトップに立つことに貢献したことは間違いない。
 
 

2. SIED VAN RIEL(シエド・ヴァン・ライエル)


Sied va Riel は2006年に Tiësto が見出したと言われているアーティストで、Sied van Riel がファースト・シングル「Fearless」をリリースした後、Tiësto は彼を「今最もアツいプロデューサー」の一人と言った、と噂されている。Sied van Riel は翌年シングルを数曲リリース、2008年にはシングル「Rush」が Tiësto のコンピレーションアルバム『In Search Of Sunrise 7』に取り上げられることとなる。
 
 

3. OLIVER HELDENS(オリバー・ヘルデンス)


2013年、両親との家族旅行で車の後ろに乗っていた時に作った「Gecko」をいくつかのレーベルに送ると、Tiësto がそれに返信し、Tiësto のレーベル『Musical Freedom Records』と契約することになったという経緯を持つ Oliver Heldens。彼のトラックは2014年の UK TOP 40でトップになり、そのチャートと Beatport Top 100 両方のトップ5に6週間ランクインした。その後、Oliver Heldens のキャリアは飛躍的に伸び、世界ツアーをし続けている。
 
 

4. RYAN SHEPHERD(ライアン・シェパード)


2016年まではそこまでの知名度がなかった RYAN SHEPHERD だが、Tiësto のレーベル『AFTR:HRS Records』とサインした後から脚光を浴びることになる。「Fill Me In」というトラックで AFTR:HRS Records と契約したが、このトラックはもともと Ryan Shepherd とLoud Luxury(ラウド・ラグジュアリー)が共同で製作した曲で、Tiësto は Ryan Shepherd にこの曲を聴かされた後、手を差し伸べたという。
 
 

5. MARTIN GARRIX(マーティン・ギャリックス)


現在では世界的に大人気のトップ DJ となった EDM シーンの若き天才の一人、Martin Garrix であるが、Tiësto が Martin Garrix を見つけたとき、彼はまだ15歳だった。Tiësto は Martin に Twitter で連絡を取り接触、世界的に大ヒットした「Animals」のリリースの手助けをした。キャリアの初期の Tiësto からの支援によって Martin は世界で最も有名な DJ / プロデューサーの一人となった。
 
 

6. ARMIN VAN BUUREN(アーミン・ヴァン・ブーレン)


Armin van Buuren との間にはライバル関係や確執の噂があるが、Armin van Buuren は。Tiësto について悪く言ったことはない。Armin van Buuren は Tiësto について「彼は私に最初の仕事を与えてくれた人の一人で、1999年に彼のレーベル『Black Hole Recordings』のコンピレーションに参加させてくれたんだ」と語っている。その後、Armin van Buuren と Tiësto は「Eternity」と「Wonder Where You Are?」を2000年にリリース。この頃から名声を高めていった。